Macでお仕事?
Mac歴18年。独立して11年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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おバカ日記(ピザ生地)
ピザ生地を、力を込めて捏ねていた時だった。

中学2年の娘が、生地を懸命に捏ねる私のそばに来て、こう言った。
「おまえ、ピザが好きだなあ。何でだ?」

それはね、パパがイタリア人だからだよ。
「まあ、ここはスルーしようと思います」(オードリーの若林風に)

アタシのことを無視するんじゃないよ!(春日風に胸をそらして)
「ピザ生地を捏ねたような顔をして、何がイタリア人だ」

オニガワラ!
「ここは、二つ目のスルーをしたいと思います。
ところで、イタリアと言えば、サッカーのセリエAですが・・・」

・・・・・・・(少し間をおいて)俺はイタリア人じゃないよ!(娘の背中を叩く)
「わかってるよ!」(娘に頭を叩かれた)

そんな光景をヨメと息子が、冷ややかな目で見ていた。

「あんたたち、本当に変な親子だね」とヨメ。
「そうそう」と大きく頷く息子。

私としては、アドリブでこれだけのことができる親子を、むしろ褒めてもらいたい。

「いいえ、絶対に変です!」


「変」と言えば、得意先の桶川のフクシマさん。

仕事の打ち合わせを終えて、いつものように麻生久美子似の事務員を交えて、雑談をしていたときだった。
フクシマさんが、突然「抜くのなら、『度肝』がいいよね」と言いだしたのだ。

彼の言いたいことはわかった。
ちょっと変わったタイプのベストセラー「ダーリンは外国人」のなかに、その一節があった。
しかも、それは近日、映画として公開されるらしい。

彼は、それを先取りして、使ってみたかったのだ。
相変わらず、おバカである。
おそらく私でなかったら、彼の意図は理解できなかったであろう。

しかし、私は性格が悪いので、知らないふりをした。

なんですか? 何を突然言い出すんですか、フクシマさん?

「あれぇ! 知らないんですか、Mさん。ダーリンは外人のこと」

ダーリンは外人?

「そうですよ、ダーリンは外人です」(得意気に)

とぼけて、「知ってました?」と麻生久美子似に、聞いてみた。
「いいえ、知りません」と麻生久美子似(知っていると見た)。

「やだなあ! Mさんもアリマさんも、二人とも遅れてますよ、ダーリンは外人を知らないなんて!」
さらに、得意気である。

しかし、おバカをからかうのは程々がいい。
それは、時間の無駄である。
だから、麻生久美子似と呼吸を合わせて、イチ、ニ、サン。

「ガ・イ・コ・ク・ジ・ン」

それに対して、フクシマさんは「な、な、何ですか?」と激しく目を泳がせた。

「ダーリンは外国人、バット・ノット『ダーリンは外人』」と麻生久美子似が、ゆっくりと発音した。

だが、おバカは、立ち直りも早い。
「何を言ってるんですか。俺、ちゃんと言いましたよ、『ダーリンは外国人』って、嫌だなあ、お二人さん。変にハモっちゃって」
胸をそらして、言いやがる。
ついでに、私たちを指さして笑ってやがる。

しかし、バツが悪いのか、フクシマさんは、事務所の隅の冷蔵庫まで小走りで駆けていって、一番搾りを持ってきて、こう言った。
「小さいことは気にすんな。ほら、ワカチコワカチコ!」
気持ち悪い振りをつけたあとで、お酌をしてくれた。

テーブルの上には、ピザがある。

クライアントに、食事やビールを奢ってもらうことに関しては、少なからずご批判をいただいている。
ただ、フクシマさんの会社に関して、以前ブログでこんなことを書いた。
昨年の慰安旅行の余興で、ビデオ上映会を開いて、一等賞金が10万円の商品券というコンテストがあった。
私も、少しだけ協力した。

それが、本当に一等賞を取ったのである。
そこで、賞金を山分けにしようと言ってくれたが、私はそれを辞退して、今年一年、打ち合わせをするごとに、ピザとビールを奢ってくれることを要望として出したのである。

それが、了承されたので、いま私は堂々とピザーラのピザを食い、一番搾りを飲んでいるのだ。
それに関して、何か文句は、あるだろうか?(少し挑戦的?)

ピザを頬張り、一番搾りを飲み干そうとしていたとき、フクシマさんが、間抜け顔で言った。
「Mさん、ピザ生地って、10回言ってみてくださいよ」

いまさら、10回クイズですか?
まあ、いいですがね。

ピザキジ、ピザキジ、ピザキジ・・・・・・。

「じゃあ、ピザ生地の上に乗ってるのは?」

・・・・・チーズ。

「残念! ピザソースでしたぁ!」

くそ!

アホ男に、やられてしまった!


2010/03/22 AM 08:22:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

公園で拾った白夜行
朝一番で、大宮の印刷会社に、仕上がりイメージを持っていった。

24ページの小冊子を両面プリントして中綴じ製本をすると取りあえず立派な本になる。
素人にホチキスの中綴じは難しいのだが、コツをつかめば、不器用な私でも綺麗にできる。
そのコツは、教えませんけどね(嫌なやつ)。

帰り道にある大宮第三公園に寄って、家から持ってきた朝メシを食おうと、自転車で公園内のベンチを探した。
公園内にベンチは沢山あるが、どれも鳩やカラスのフンがこびりついている。
だから、なるべくフンの少ないベンチを物色した。

その中で木の枝が張り出していない、鳩のフンの飛びにくい場所を発見した。
これなら、フンはこびりついていないだろう、と推測したベンチに行ってみると、フンは背もたれの左隅にある一箇所だけだった。

よし、本日の朝メシ場所は、ここに決定。
自転車を止め、バッグを籠から下ろした。
そのとき、目に入ったのが、ベンチに置かれた分厚い文庫本である。

セピアでコラージュした画像に浮かび上がる文字。
「白夜行」

東野圭吾の有名なミステリーだ。
4、5年前に図書館で借りて、読んだ記憶がある。
薄いダークなイメージのクライムノベルである。

読み終わったとき、松本清張が生きていたら、これを読んで悔しがっただろうな、と勝手に想像した。
抑制の効いた文体と無理を感じさせない心理描写、情景描写。
読後感は重たいが、不思議な余韻を与えてくれる作品だった。

その「白夜行」がなぜ、ベンチに置き去りに?
忘れたのだろうな。
おそらく、慌てていたのだろう。

分厚い文庫本を手にとって、パラパラとめくってみた。
すると、本の間に紙片が挟んであるのを見つけた。
手帳の切れ端のようだ。

その紙に、青いボールペンで文字が書かれていた。
細い文字で書かれた文章を読んでみた。

「これを手にした方。
読み終わったので、所有権を放棄します。
活用していただけると、うれしいです」


変わったことをする人だ。
筆跡からすると、女性だろう。

何も書かずに置いておくと、忘れたと思われるから、「所有権を放棄します」と書いた。
読むのも自由、読まずに誰かにあげるのも自由。
捨てるのはもったいないから、誰かが「活用する」ことを望んで置いていったのだろう。

面白いな。

そこで、ご希望通り、私が活用することにした。
一度読んだ本だが、二度読めば、また新しい発見があるかもしれない。

読む前に、バッグから朝メシを取り出した。
普通のおにぎりの倍以上のボリュームがある握り飯が二つ。
具は、大量のネギ味噌と、自家製の塩辛が入ったもの。

飲み物は、シジミのエキスだけの味噌汁を携帯用魔法瓶に入れて持ってきた。
それを飲みながら、握り飯を頬張る。
そして、文庫本を読む。

引き込まれた。

話の展開がわかっていても、その卓越した文章力が、文字を追うことをやめさせてくれないのである。
気が付いたら、一気に2百ページを過ぎ、第三章まで読み進んでいた。

時計を見ると、11時半。
今日は、急ぎの仕事がないので慌てて帰ることはないが、三月中旬は、まだ寒い。
ベンチには、春の陽光が当たっていたが、体を芯から暖めるほどではない。

帰ることにした。
そして、自転車を漕ぎながら、最初に「白夜行」を読んだ時のことを思い返した。

これをもし、テレビか映画でやるとしたら、ヒロインは絶対に柴咲コウだな。
目で意思を表現できる人しか、この役はできないな、と思った。
そして、男の主人公は、多少、年は行っているが、本木雅弘だな。
表情を変えずに、ことばだけで表現できる男優は限られる。彼こそ適役だ、と思った。

しかし、その後、「白夜行」がテレビ化されたが、配役は、綾瀬はるか山田孝之だった。
私は、そのドラマを見ていないので、コメントできない。
評判が良かったかどうかも、わからない。
私のイメージとは、だいぶ違うが、どちらもいい役者さんなので、もしDVDになっていたら、いつかツタヤで借りて観てみようと思う。

でも、やっぱりヒロインの柴咲コウは、私の中では譲れないな。
柴咲コウの唐沢水穂(ヒロイン)を絶対に見てみたい。
そして、相手役は、今なら小栗旬だろうか。
年齢的には、本木雅弘より、こちらの方が合っていそうだ。

お互い、暗く沈んだ情念を心の奥底に澱ませて、陽の光を避けるように、白夜の中を、もがきながら行く二人。
笑顔さえ、氷のように冷たく痛々しい「はぐれびと」。

見てみたいなあ。
柴咲コウと小栗旬の「白夜行」。
運命に抗いきれずに、薄絹のような闇の中を懸命に這い進んでいく、この二人の演技を見てみたいなあ。

いや、しかし・・・・・、とまた別のヒラメキが。

ヒロインは、沢尻エリカでもいいかもしれない。
邪(よこしま)な心を隠して、いい人を演じる役を、彼女にやらせてみたい気がする。
はまり役ではないだろうか。
すると、相手役は、小栗旬ではなく二宮和也か藤原竜也の方が合うかも。
非情なまでに犯罪者に徹する役は、彼らにとって新境地になるかもしれない。

いいな。
うん、いいかもしれない。

いやいや、しかし、柴咲コウも、やっぱり捨てがたい。
ああ! どうしよう!

そんな妄想に耽りながら、昨日5百ページ近くまで読み進んでしまいました。

そんな私に、中学2年の娘が舌打ちをしながら言った。

「おまえ、今日の晩メシ、手を抜いたな!」

はい、申し訳ありません。

すべては、「白夜行」を置いていった人が、悪いのでございます。



2010/03/20 AM 08:36:56 | Comment(3) | TrackBack(0) | [こんな本読みました]

暴れん坊
「急落」とか「続落」という枕詞(まくらことば)をつけられたら、「ああ、支持されていないんだな」と、ほとんどの人が思う。
逆に「依然として高支持率」という枕詞が付いていたら、勝ち馬に乗りたい、と世間の人は思うだろう。

枕詞なしに、「支持率40%」という見出しだけだったら、誰も「へえ」としか思わない。

そして、「ぶれている」と、新聞や週刊誌の見出しのサイズが大きくなるたびに、たとえ少々のぶれでも、みんながぶれているんだなと思ってしまう。
「エリカ様」と書いたら、誰でも彼女を尊大な女王様だとイメージする。

それをバンドワゴン効果という。

それは、自分の思い通りに話を誘導するためには、かなり効果的な手法だが、私は好きではない。
私はむしろ「勝ち馬」を避けるタイプである。
そして、そんな意図的な表現を見ると、むしろ表現者の裏を読もうとしてしまう「ひねくれもの」だ。

ただ、この「ひねくれもの」は、「ほめる」ということに関しては、無条件に頷いてしまう癖がある。
ひねくれものは、「粗さがし」が嫌いだ。

悪いことをした人は、それなりの罰を受けるのは当然のことだが、それが世間の「風向き次第」で、悪としての烙印を押されるのは、理不尽だと思っている。

これは、かなり古い話だ。

私が中学二年の時のことだ。

学年に一人や二人は必ずいる「暴れん坊」。

教師も持て余して、まわりからも眉をひそめられる存在。

あいつは、何をやるかわからない男だぞ。
あいつには、近づくな。
何をされるかわからないからな。

事実、無茶な行動をしていた男だったが、犯罪を犯していたわけではない。
むしろ、普通に見えるやつらが、駄菓子屋での万引きの成果を吹聴したりしていた。
いつの世も、要領のいいやつだけが、世論を味方にする。

教師も、外見上の「暴れん坊」だけを目の敵にして、「影の悪いやつ」は、ほったらかしである。

そんなとき、砂場で、「影の悪いやつ」をボコボコにしていた「暴れん坊」を止めたことがある。
「影の悪いやつ」は、「暴れん坊」に蹴られながら、鼻水を垂れ流して泣いていた。
その泣きっぷりが、あまりにも見事だったので、つい止めに入ったのだが、よく見ると、「暴れん坊」の蹴りは、かなりおとなしい蹴りだった。

蹴ってはいたが、かなり手加減をしていたのが、止めに入る途中でわかった。
それを見て、「ああ、こいつもわかってるんだな」と、感心したことを今でも鮮明に覚えている。
それに対して、大げさに反応することで、世間を味方につける方法を取る小賢しいガキ。

「本気で蹴る価値のないやつ」というのが、世間には、いると思う。
「影の悪いやつ」は、まさしくそんなタイプだった。

蹴る価値はないが、蹴らないと「悪さ」がエスカレートしていく。
だから、とりあえず蹴ることによって、「暴れん坊」は、それに歯止めをかけたのだろう。

ただ、世間というやつは、そうは見ない。

乱暴で、どうしようもないやつだな。
「暴れん坊」が、「暴れん坊」でいることを、表面の行動だけでイメージを固定してしまうのである。

あいつには、何を言っても無駄だよ。
父親がいないんだから。

父親がいないというのは、まったく関係ないことなのに、それが世間を納得させる理由となって、学校全体に「ひとつの空気」を形づくるのである。

中学2年の三学期、春の花が芽を出しはじめた頃、「暴れん坊」が、目黒川の橋の下で泣いている姿を見た。

どうした? と聞いたら、「猫が死んだ」と彼は答えた。
目からは、大粒の涙が溢れ出ていた。

お前が飼っていたのか、と聞いた。
「いや、ノラ猫だが、俺の友だちだった」と、彼は答えた。

「暴れん坊」は、泣き疲れて、膝を抱えていた。
私はそんな彼を、私の家に連れていった。

家には、私の祖母がいる。
教育者だったひとだ。

祖母は、「暴れん坊」をひと目見て、彼の置かれている立場を理解したようである。

「あなたは、優しくていい子だね。でも、わかってもらえないのかな」

「暴れん坊」は、祖母に頭を撫でられながら、泣いていた。

そのあと、祖母がホットケーキを作ってくれた。
「暴れん坊」は、それを「うまい!」を連発しながら、4枚も食った。

中学3年の4月12日。
祖母が死んだ。

暴れん坊・イイヅカは、祖母の棺に取りすがって泣いてくれた。
祖母には、一度しか会ったことがないのに・・・。

毎年4月12日には、私の実家に、イイヅカから花が届く。

イイヅカは、あれ以来、ホットケーキを食ったことがないという。

暴れん坊・イイヅカとは、今も友だちである。



2010/03/18 AM 06:34:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

転校なんか?
ことばは、難しい。

今月18日午前中までに、初稿をあげる約束の仕事をいただいている。
それに関して、得意先から「まだできませんか?」と昨日電話を貰った。

約束の日にちまで、あと3日ある。
だから、「まだ・・・」と言われて、心の中でムッとした。

実は、もう出来上がっているのだが、そう急かすように言われると、「まだですね」と、つい言ってしまうのである。

だが、もしも、こんな風に言われたら、私の答えは確実に変わっていただろう。
「お忙しいところ、申し訳ありません。約束の日時よりは早いですが、念のため確認のお電話をしてみました。初稿の進行状況は、いかがでしょうか」

ああ、あれはもう、出来上がってます。
いつでも、お届けできます。

言い方次第で、お互いが幸せな気持ちになる。
しかし、三日も早い段階で、「まだできませんか?」と当然の権利のように言われたら、そんな親切心は浮かんでこない。
心が荒立つだけである。

それとは反対の経験を先週の木曜日にした。
仕事の打ち合わせを終えて、得意先の近くにある定食屋さんに、昼メシを食いに入った。

そこの定食は、日替わりが5百円。
ご飯が美味しくて、味噌汁は、お代わり自由。
昼メシ時は、いつも混んでいて相席になるが、1時を過ぎると、ゆったりと座れる。
その日は1時15分ごろ、入った。

日替わり定食は、ブリ大根とホウレン草のおひたしが、おかずだった。
しかし、ホウレン草のおひたしに鰹節がかかっていなかった。

おひたしには、鰹節が欲しいな。
小さなことだが、他の人のには、乗っかっているだろうかと見回してみたが、同じものを頼んでいる人がいなかったので、確認できなかった。

まあ、しかし、それはどうでもいいことだ、と思い直した。
主菜のブリ大根が、芸術的に美味しかったからだ。

そして、ときに奇跡は起きる。
店員のオバちゃんが、それに気付いてくれたのだ。
そのときの、オバちゃんの言い方がよかった。

「ああ、ごめんなさいね。カツオくんが行方不明だったわね」

ワカメちゃんは、味噌汁で頑張っていますけどね。

「でも、ワカメちゃんだけじゃ、ダメよねえ。兄妹だもの」

そう言いながら、オバちゃんは、カツオくんを大盛りにしてくれた。
その心遣いも含めて、ほうれん草のおひたしは、天文学的に美味かった。

だが、いいことばかりではない。
その日は、腹の立つこんなこともあった。

印刷会社のB社の社長からの電話。
「Mさん、なんでメンテナンスに来てくれないのかな。せっかくプリンタを使わせてやるって言ってるのに」

使わせてやる?
では、社長さん。
俺が、「メンテナンスをしてやる」って言ったら、どんな気がしますか。

「・・・・・・・・・」

なんだよ!
とたんに、ダンマリかよ!
大人げねえなあ!

そして、こんなこともあった。
中学2年の娘の転校の相談に、中学校に行ったときのことだ。

事情があって、転校を考えているのですが。

すると、担任の女教師が、まるで錆びた包丁で大根を切るように鈍(なま)った口調で、こう言ったのだ。
転校なんかして、どうするんですかぁ〜?」

私は、それを聞いたあと、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと「日本語で」言ったのである。

「転校なんか」するつもりは、ありませんよ。
「転校を」する予定なんです。

それを聞いた女教師は、はじめてスワヒリ語を聞いた人のような目をして、「意味ワカンナーイ!」という顔で、私を見つめていた。
その少し白痴的な表情を見て、私は思った。

教師というのは、日本語の細かい機微を知らなくても、なれる職業らしい、と。



2010/03/16 AM 06:45:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

移住計画 進行中
昨日の昼、ご老人が、玄関に植木鉢をヨイショヨイショと並べていた。
ヨメが、ベランダに置いて、毎日愛しんでいる鉢植えたちである。

その鉢植えたちが、玄関に充満している。
無駄だと思ったが、一応聞いてみた。

何をしているんですか?

「今晩雪が降るって言うから、寒かったら花が可哀想だろ。だから、暖かいところに移してるんだよ」

今夜は、雪は降りません。
埼玉は、春の陽気です。
もう外は20度を超えているかもしれません。

そう言ったら、「おや? 私のテレビでは、雪が降るって言ってたよ。じゃあ、私のテレビだけ雪が降るって、嘘をついているってわけだ。そんなことは、ないだろう!」と口を歪めて、ご老人が私を睨む。
こんなところが、ご老人が、ご自分の子どもたちから疎まれる理由なのだろう。

おそらく、日本のどこかの地域で雪が降るというのを聞いて、埼玉のことだと勘違いしたものと思われる。
ご老人の勘違いは、いつものことだ。
それを目くじら立てても仕方がない。

ただ、そのときの精神状態によって、その程度のことでも気持ちが荒立つことはある。

ヨメは、ご老人との、この無駄なやり取りが我慢できなくて、ご老人を相手にしなくなった。
パート先から帰ってきて、玄関に充満した鉢植えを見たときも、無言で鉢植えたちをベランダに戻していた。

共同生活によるストレスが、溜まっているのだろう。
そのストレスが、実の母親が起源だからこそ、耐えられないのかもしれない。

そこで、以前のブログで書いた三鷹移住計画が、現実味を帯びてくる。

ご老人は、ほとんど鬱である。
ご自分の内面だけにしか向き合っていないから、回りの人間のすることはすべて空回りにしかならない。
世話の焼きがいが、ないのだ。
ご老人には、他人への感謝の気持ちが皆無と言っていい。

ヨメは、そんな母親を疎ましく思っている。

もうそろそろ、16ヶ月間続いた同居は、解消すべき時ではないのか。

子どもたちは、引越してもいいと言っている。
引越しはそんなに簡単なものではないのだが、子どもたちは彼らなりに、我々5人の関係が、臨界点を超えたと判断しているようである。
ようするに、この状態を維持していくのは、もうウンザリだと思っている。

私も、ウンザリだ。

先日、以前広告の仕事をした荻窪の美容室の社長から、2年ぶりに仕事の依頼が来た。
今回は、10周年のチラシとそれに伴うポイントカードの仕事だ。

オーナーと仕事の話を終え、雑談をしていた時、オーナーが武蔵野市でアパートを経営しているという話になった(金持ち!)。
しかも、そこが3月末には、二世帯分が空くというのだ。

社長! そ、そ、それは、家賃はおいくらでしょうか?

「2DK一世帯、管理費込みで7万2千円ですが・・・」

つまり、二世帯借りたら、14万4千円ですね!

「・・・・・・・、まあ、単純に計算したら、そうなりますね」

それ、まかりまへんか?(妙な関西弁)

「どういうこと?」

オーナーに事情を説明したら、「ああ、俺もボケた母親を抱えているから、あんたの気持ちはわかる」と同情してくれた。
そして、「ほなら、二世帯11万で貸しまひょか」(オーナーもなぜか妙な関西弁)

借してくれまっか?
「貸しまんがな」(関西弁?)

オーナーが持っているアパートの101号室と201号室を借りれば、変形メゾネットとして生活ができる。
101を主な生活の場にして、201のダイニングを仕事場、残りの二部屋を子どもたちの部屋ということにすれば、生活は成り立つ。

家に帰って、ご老人にはナイショで話を煮詰めた。

「いいんでないかい」とヨメ。
「問題なし」と息子。
「おまえ、友だちが少ないくせに、いい話を持ってくるなぁ」と感心する娘。

しかし、学校が変わるんだぞ、これは重要なことだぞ。
本当に、いいんですか?
「いいんです!」

ということで、三鷹移住計画が、にわかに現実的なものになってきた。

ただ、我々が引っ越す予定地は、武蔵野市。
ご老人の実家は、三鷹市

とはいっても、市が違っても、距離は1.5キロ程度しか離れていない。
自転車をすっ飛ばせば、10分で着く距離だ。
お世話ができない距離ではない。

現実的な話をすると、ご老人は「要介護」の認定を受けている。
それがあったので、三鷹での一人暮らしの身から、我が家に「我がままな天使が舞い降りてきた」のだ。
そのとき、長年の不摂生で、我がまま天使の身体はボロボロだった。

嫌らしい言い方だが、今は私の努力で、我がまま天使の身体は、糖尿病患者としては優等生になりつつある。

その天使を、昼間だけヘルパーさんに身を委ねよう。
あとは、週に2回のデイ・サービス
天使は、他人の言うことは素直に聞くので、他人様に委ねようと思う。
晩メシと朝メシは、私が今までどおり糖尿病食を作って、手の空いた人間が、ご老人にお届けをする。

これで、問題はないだろう。
「問題なし!」と全員一致。

あとは、娘の転校手続きだ。

本当にいいんですか?
「いいんです!」

「だって、アタシだけ、埼玉生まれの埼玉育ちだろ。アタシだって、胸を張って東京育ちって言いたいよ!」

ヨメと私は、東京生まれの東京育ち。
息子は、東京生まれの埼玉育ち。

娘は、東京育ちに憧れているのか?

いやいや、そんなことはないだろう。
臨界点を超えた我々5人の現状を、一番憂えているのが、娘である。
そして、ご老人の体調を一番気遣っているのも、娘である。

友だちと離れ離れになる寂しさを、中学2年の娘が、平気で享受できるとは思えない。
相当な心の葛藤があるはずなのだ。

しかし、娘は、ご老人のことを気遣った。
実の我が子たちに疎まれ続ける、行き場のないご老人の今と未来を気遣ったのである。

さらに、そんな娘の気遣いを、永遠にご老人が理解することができなくても、娘はそれでいいとさえ思っているのである。

親としては、その娘の思いに応えるべきだろう。

「移住計画」は、ご老人のためではあるが、娘の崇高な思いを遂げるためでもある。


いま―――、着々と―――、少しずつ、移住計画が進んでいる。



2010/03/14 AM 08:48:06 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]



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